日本の馬の歴史。なぜ日本在来馬は減少したの?

日本のサムライはポニーに乗っていた!?

実は日本語の中には、「馬」に関する単語やことわざが沢山あります。

普段良く使う「道草」や「馬子にも衣装」も馬と関連しており、昔どれだけ馬と人が一緒に暮らしていたのかが理解できます。

 

現代では馬=競馬のイメージが強く、特に時代劇では背の高い馬に跨って疾走する場面を良く見ます。

しかし、実際に昔の人が乗っていた在来馬は「120~130センチ程度」しかありません。

有名な源義経が崖を駆け下りるなんて表現がありますが、

これは重心が低い馬でないとあっという間に転げ落ちてしまうので背が高い馬ではできない芸当なんです。

なぜ日本在来馬は減少したの?

昔の在来馬は、人々の生活に無くてはならない存在でした。

例えば、各地域での移動手段として、荷物を運ぶ駄馬として、山から木を運び出す馬搬にも使われ、畑を耕す馬耕も行っていました。

しかし、明治の戦時中、馬に関する国策が発令されました。それは「軍馬増強」というもの。

外国との戦いに勝つために「馬の大型化」が重要視され、体が小さな日本の在来馬が減少してしまったのです。

 

1901年の「馬匹去勢法」、1939年の「種馬統制法」により、日本の馬は体格の大きい洋種馬と積極的に交配を行うようになりました。

種牡馬及び将来の種牡馬候補以外の牡馬は、全て去勢することが定められてしまいました。

日本在来馬の新しい生きる道は?

自動車が登場した近年では、前述のような使役される馬たちも減り、その技術も少しずつ失われていきました。

そして、時代の変化と共に馬の役割も変わっていったのです。

 

現在の在来馬は、観光をメインとして働いています。

しかし、馬耕・馬搬などがもたらす自然への良い影響も理解され始め、少しずつ昔の技術も復活し、馬の働く場所ができています。

 

また馬の精神的な面からの試みとしてホースセラピーという「新しい馬の仕事」もでき始め、子どもたちの情操教育や障碍者のリハビリにも良い効果が期待されています。

そんな在来馬の中でも、沖縄県・与那国島に住むヨナグニウマ。

 

頭数が少しずつ増え、頑張っている彼らを応援するため、Let's support!ヨナグニウマでは、可愛い・心を豊かにする雑貨を企画制作販売しています。

ぜひ皆さんも可愛い雑貨購入で、日本在来馬のサポートをしませんか?

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